6×6 Daguerreotype by Rolleiflex

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ダゲレオタイプ強化月間というわけではないですが2月に入ってからは得に撮影量が増え、週末などは気付くと日が暮れています。 撮影しているとずーっと立ちっぱなしで、もし私がお偉い先生かなにかで助手がいるとしたら銀板を磨いてくれというより(むしろそれは自分でやりたい)、珈琲を入れてくれと言うに違いないです。あとは、うさぎのキャベツ買ってきてくれ、とか。(間違いなくそんな日が来る事はなく。)

昨日は、ちょっと真剣に取り組むのをお休みして、数年前に同僚が「ずっと使っていていいよ」と貸して(?)くれたローライフレックスで小さなダゲレオタイプを撮ってみました。先日の小さなダゲレオタイプに続き、ちょっとした気晴らし。このサイズはずいぶん前にハッセルブラッドで撮影して以来です。

考えてみたらローライフレックスを使うのは初めて。
一通りいじくりまわしていたら使い方がわかったので、さっそく銀板を入れてみたところしっかり蓋も締まります。
以前にペンタコンシックスでガラス湿板を撮影してみようとガラスを入れたところ、蓋を閉めたところでパリンとガラスが割れました。
銀板はそもそもガラスより薄いし、割れる心配もありません。

ちっちゃくてかわいいけれど、不器用な私には難易度が高い。。 

汚いのは銀板がうまく磨けていないせいかと思われます。磨きそのものはすぐに終わるけれど、とにかく小さすぎて扱いが意外と大変。

ついでにペンタコンシックスでも撮影しました。

ペンタコンシックスはシャッターを押したままにしておく機能がなく(あるいは見つからず)、2度押ししてブレてしまいました。 

もう一度撮影して調色したら汚くなったので、先の汚い結果は磨き不足だけでなく調色のせいかもしれません。

しかしながらペンタコンシックスの安っぽい “バコン”、というシャッター音がたまらなくいいです。。
それが楽しくて、何度も空シャッターを切って遊びました。

貴重な1日が・・・。(若干後悔。)

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Shooting on a historic clad plate

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暗い部屋でセーフライトとして使っていたJieldeのランプが置いてあった硝酸銀のせいか、ものすごく錆びました。
この錆を落とそうと、もっている研磨剤をいろいろ使って(そう、研磨剤はいろいろあるので)奮闘しましたが、全然落ちそうにないので早々にあきらめました。

銀板磨いている方がずっと楽。  Jieldeみすぼらしくてかわいそう・・・。

***
以前、当時のダゲレオタイプを消してその銀板に自分のダゲレオタイプを撮るというかなりずうずうしい行為を行いました。いつだったかな、と記録を見たらもう2015年の冬なので、もう2年くらい前になります。

そのときは、当時のクラッド材の方が奇麗に写るんじゃないかと思って試したものの、たいしてうまくは撮れず(もしかしたら奇麗に撮れたと思っていたかもしれませんが)、その後プチ・バンダリズムは封印していました。

先日、Mikeさんのクラッド材と当時のクラッド材がまた違うらしいことに気づき、このところのダゲレオタイプの撮影に疲れて来たのもあって、気晴らしに再度試してみる事に。

2年前に撮影したものを消して使うことにしました。

ウンチみたいな出来映えなのに、ご丁寧にハウジングしてあります。


ハウジングを剥がしたところ。 研磨の跡も醜い。。。


ピカピカに磨きました。手前が本物のダゲレオタイプ、奥が磨いて鏡のようになったプレートです。ただ古いのでどうしてもとれない汚れなどあります。


一度目は露光オーバーで失敗しました。

ためしにギルディングもしてみましたが、たいして良くもならないので再度消して撮影します。

こちらが2度目。当時のダゲレオタイプにはとてもかないませんが、2年前よりはだいぶ奇麗に撮れました。

プレートの左下に小さな刻印があるのが見えます。
Google情報ですが、コネクチカットに1839-1850年にあったScovill社のものです。

まだまだ私の技術では当時のダゲレオタイプ・スタジオに就職することはできなさそう。。。
(そしてダゲレオタイピストは夢のまた夢。)

Unfragile daguerreotype(消えないダゲレオタイプ)

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中国の食堂で食事をしていたら同じテーブルの中国人が鳥の笛を取り出して吹き始めて、音色がとても奇麗だったので私もその笛を買いたいと言ったら、貴重なものだから売れないのだと言われました。それで食堂のオーナーになんとか一つ譲ってもらえないかとお願いしたら、一つ売ってくれました。
おもちゃのような笛なのに2千ドルもして(なぜか米ドル)、高いなーと思っている夢。たまに知らない外人(今回は中国人3人)が夢に出てきますが、いったいこの人たちは誰なんだろう・・・と思います。どこかで見かけて記憶の片隅に残っているのかもしれません。

2月に入ってからは特に毎日のようにダゲレオタイプを撮影し続けて、気付いたら今年はすでに120回も撮影していました。
今まではまぁまぁの出来のものはご丁寧に調色して簡易ハウジングをしていましたが、最近は納得のいかないものは速攻消しています。
過去に撮影した山積みになったダゲレオタイプをひとつひとつ見て行くと、もうどれもこれもどうしようもない出来映えで、でもそのときはそこそこよく撮れたと思っていたのだから少しは進歩しているらしいです。

先日ひょんなことから、今までにないダゲレオタイプが出来ました。
画像そのものはひどいもので、このダゲレオタイプをすぐに消そうと思って指でこすったら不思議なことに調色もしていないのに像が消えないのです。
あれ? と思ってあちこちこすってみましたが、調色した以上に像がしっかりと定着しています。
今までにこんな現象は起こったことがなく、もしこれで上手に撮れたら消えないダゲレオタイプができるのではないかと思い同じ実験をしてみたところ、今度は指でこすったら消えてしまいました。 

本当に不思議です。何らかの化学反応でそうなっているのでしょうけれど、いったいどんな偶然が重なってそのようなダゲレオタイプが出来たのか、もちろん考えてもわかるはずもなく。。  その後同じ手法は試していませんが、また気が向いたときにでも試してみたいと思います。


ダゲレオタイプと呼んではいけない出来映えの消えない写真。。。でも手法はまぎれもなくダゲレオタイプです。

Modern clad plate vs Old clad plate

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先日、これはどう見てもアンブロタイプではないかなぁーと思われるものをダゲレオイタイプと称して売っているお店を見つけて、悶々としています。買う気がないのに、これはアンブロタイプではないですか?と言うのも変だし、そもそも私はダゲレオタイプ取締委員でも風紀委員でもなんでもないので、全国の、そんな間違いを摘発して回るわけにもいかないし、もちろん今回も見回りしているわけではなく(逆にしてたら怖いですね)、たまたま見つけてしまったというだけです。
お店の人はもちろんわざとではなく知識がないからそうなってしまっているだけですが、買う人が期待して買ってしまったらかわいそうだなーと思いつつも、アンブロタイプをダゲレオタイプと信じて買って買ったあともそうだと信じて気に入って眺めている分には誰も傷つかないから、まぁいいか、という結論。

久しぶりにクラッド材を天井に反射させて違いをみてみました。
今回は銀メッキ、近代のクラッド材(Mikeさんのもの)、19世紀のクラッド材です。

こうやってみると同じクラッド材でもMikeさんのものと19世紀のものとはまた異なることがわかりました。
どちらがよく写るのか・・?は 不明です。
Mikeさんのクラッド材も相当試作を繰り返して作られているようなので、同じくらいかもしれません。

ちなみにこちらは1850年代と1840年代のクラッド材の比較。

差はほとんどありません。

そういえば当時の銀板で写真を撮る、というテストがそういえばまだ途中で終わっていました。 過去にひどい写真を一度撮りましたが(それなのにご丁寧にハウジングしていたり)、臭素が来てからは一度もテストをしていないので、また近いうちに撮ってみたいと思います。(また一人犠牲者が出ます。)

Magnifying Glass(虫眼鏡)

私は虫眼鏡が好きでいくつか持っているのですが、考えてみたら万華鏡とか顕微鏡など、何かレンズを通して覗くという行為そのものが好きなのかもしれません。なにか秘めたる世界を覗くような、ちょっとしたワクワク感があるといいますか、普段自分が見ているものとは違う世界を見る事に楽しみを感じるのだと思います。
きっと誰でもそこにレンズがあれば覗いてみたくなるに違いありません。
大判カメラもピントグラスを通して見ているものは同じもののはずなのに、そこから見える世界はまた別格で、とある方が私が大判を始めるずっと前に「絶対にハマる」と宣言していましたが、まさにその通りになりました。 

虫眼鏡に関しては私が以前から不思議に思っていることがあります。

たとえばダゲレオタイプをよく拡大して見るのですが、その虫眼鏡で拡大したダゲレオタイプはまた裸眼で見るのとは違った美しさがあって、敢えてそれを写真に撮りたいと思うことがあります。

そこでカメラを持って来て撮影するのですけれど、実際に私が見ているものとカメラが撮るものは拡大率が違って、特にiphoneのカメラを使ったときにはほとんど等倍になってしまうという、私の頭では理解できない現象が起きています。
何度やっても同じで、では一眼レフならどうかと思うのですが、こちらもパララックスなのか何だかよくわかりませんが裸眼で見るものは再現できず、拡大率もiphoneほどではないですが違うようだし、もしかしたらGoogle Glassだったら上手く撮れるのだろうか、とか考えたりして、結局思ったように撮れずに面倒になってやめてしまうのです。 

そして結果は分かっているのに、なぜかこの行為をある期間を置いてまた繰り返してしまう。
毎回たいてい30分くらいは奮闘します。 無駄だとわかっていてもこの美しさを撮りたいという欲望の方が強いのです。そしてなんとかして撮影したものは期待ほど美しくなく。。。

結局レンズはこの目で見たものをその通りには再現できないのだ、という結論に至り(当たり前ですが)、でも逆にそうでないことに魅力を感じるといいますか、もしカメラが見たままを忠実に再現していたとしたら、恐らく私はここまで写真には興味を持たなかっただろうと思います。