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写真について考えれば考えるほど、自分が何を撮りたいとかわからなくなってきます。 たぶんそれは、作品を少しだけ展示するようになって、本当に撮りたいものと、人が期待するであろう写真を心のどこかでごっちゃにしてしまって、出来上がった写真をいろんな自分が評価しているからかもしれません。

「人の期待に答えようとがんばる」、というのは子供のころからの私の癖ですが、私にとって写真はとてもパーソナルなものだし、プロの写真家を目指しているわけではないので、この自分で勝手に作り上げているプレッシャーはどこかに捨ててきた方がよさそうです。

もう一つのプレッシャーは、写真を撮る人は人間的に素晴らしい人ではなくてはならない、と心のどこかで思っていること。 確かに表現者という意味で言うと、たとえば反戦・反原発や性の解放などの思想の元、写真というメディアを使ってそのメッセージを送っている写真家たちが大勢います。
そういう人たちと比べると、家の片隅で自分を話し相手に、自分のためだけに写真を撮っている私は表現者どころか、単なる暗い人。

そもそも誰も私が立派な表現者になることなど期待していないのになぜそう思うのかというと、展示するということは、ある意味表現者へ向けて一歩踏み出したような感覚がどこかにあり、そしてそんな表現者からはほど遠い人間だということを自分が一番よくわかっているので、妙に心苦しく感じるのです。

こんなことを考えていると、展示なんてせず、それこそ私が神とあがめるミロスラフ・ティッシーのように自分の欲望のままに写真を撮っているのがいいなーと思ったり。  でもそれと同時に自分の作品を通して、世間に対して自分という人間に責任を持ちたいという欲求、というか、自分で自分に課した義務みたいなものを果たしたい、という気持ちもどこかにあり、自分の解放という意味でも展示はした方がいいのかなと最近は思います。(今のとこ解放されずにどんどん拘束されていく、という負のスパイラル。。)

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