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先日友達の紹介でとあるギャラリーのオーナーさんに会いにいきました。
今年は個展をやったらどうか、といろいろな方がおっしゃってくださったので、自分ではそれほど自信はないし、ものすごく興味があるわけではないけれど、良い経験になるのと展示というとそこをめがけて作り込んで作品化するのでそれもいいかなと、そんな軽い気持ちでいきました。

オーナーさんの第一声。「やりたきゃやればいいし、やりたくなければやらなきゃいいじゃない。要はやりたくないんでしょ。だったらやらなければいい。」

確かにそうなのですが、やりたければやればいい、といっても度素人が下手な写真ひっさげて個展というのは自分の中ではあり得ないと思うのです。なのでやるやらないは置いておいて、個展に耐えうる作品かどうか、というのが知りたかったのですが、そこに関してはまったく触れていただけませんでした。その時点で、オーナーの目から見て自分の作品は箸にも棒にもひっかかっていないらしい、と感じました。

自分がどうしたいのか、というのが重要なのだそうです。当たり前のことだけど。他人の期待値は関係ない。どうも私は他人中心で話しているからまずそこからしてどうなんだ、と問われていたようです。

「ギャラリーでよくグループ展とかやっているでしょう?しょうもない作品だっていっぱいあるじゃない。やるやらないは他人が決めることじゃなくて自分で決めること。やりたければどこでもお金さえ払えばできるんだから。」

そういう意味で東京はとても恵まれた自由な環境らしいです。一部の国ではいくらお金を払っても一定のレベル以上の作品でないと個展なんてできないし、ましてや韓国などはギャラリーの望む作品を作って行かないとダメなんだそう。それを断ったらもう一生そんなチャンスはめぐってこない。表現の自由がなく、マネーゲームに巻き込まれているだけな気がします。

ある程度評価が定まっている作家や作品の個展よりも、未知の作家・作品の個展がおもしろいのだそうです。そもそも個展はそういうものだとおっしゃっていました。なので私の個展はおおありなんですが、やはりある程度評価がもらえないと心が折れるだけだからなーと思います。
写真関係の友達は、いいものが出来たら、って言っていたら一生発表できないから、下手でもどんどん出していろんなこと言われて挫折を味わった方がいい、と言っていました。写真は人に見せてなんぼだから、とのこと。
ダゲ友のおじいさんも、個展をやるということは難しいし、現実を突きつけられるからそれは覚悟しなければならないとおっしゃっていました。

私の言ってきたことはとても矛盾していて、別に発表に興味がない、と常々いいつつ、うまくなりたいという気持ちは強く、それは裏返しとして、人に評価されたいという願望があるからなのだと思います。別に人の評価がどうでもよければ自己満足で完結するわけだから、勝手に部屋に籠ってやってろ、という話。
それを他人がやれと言ったから、やりました、というのは責任転嫁というか、どんな評価をもらっても自分は別にやりたくなかったんだけど・・・という言い訳を用意しているような気がします。作品うんぬん以前に自分のスタンスに大きな問題があることがわかりました。

とても良い勉強になりました。
個展は自分がまだまだそんなステージにいないので、とりあえず今はいっさい思考から排除することにしました。
直後は作品を評価してもらえなかったことにやや落ち込みましたが(それもあって友達が私のダゲレオタイプを買いたいと言ってくれたんじゃないかな、と今思えばそんな気がします)、今はふっきれたような開放感があります。

フリーダム。

気持ちを入れ替えて今日も早朝からダゲレオイプ。
先日露光オーバーだったのでぐっと時間を減らしたら、今度はやや不足になりました。ほんのちょっと。この“ほんのちょっと”はいったい何分の露光に該当するんだろう・・。このコントロールが難しいです。
感度はプレートの磨き具合や室温でも変わってくるので、出たとこ勝負な部分も大きいです。