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おととい失敗したダゲレオタイプ。
EPSON MFP image
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写真関係の友達がよくファイルに過去の作品をきれいにまとめてポートフォリオたるものを作っているのを何度か見たことがあります。中身もさることながら、その美しく整理されている様子につい関心が行ってしまう。

自分に関して言うとそんな素敵なものは存在せず、ぐちゃぐちゃ。
いつ撮ったのか、あれはどこへ行ったのか、ああ、こんなのもあったな、という具合で、過去の作品(・・と呼べるのか?)に未練も執着もないのが主たる理由なんですが、やはり小奇麗にまとまったポートフォリオを見ると憧れてしまうのです。
何度か試みたことはありましたが、このサイズのファイルを買おう、でもこの色はいやだなーとか、気が付くとお気に入りのファイル探しに一生懸命になって肝心のポートフォリオのことはどうでもよくなっている始末。(そして最後にはファイル探しが面倒になってギブアップ。)きちんと診察したことはないけれど軽いADHDなんじゃないかと思います。

なぜそうなのかと考えたことがあります。おそらく主たる原因は、過去の作品があまり好きではないということ。よくこんなつまらない写真撮っていたなーと思うことが多いです。そしてそれをよくよく掘り下げてみると、本当はその写真が嫌いというより、そのときの自分が嫌いだったりします。つまるところ、この作品に満足している自分が嫌い。

唯一めずらしく例外の1枚があって、今年額装した12×16の巨大な湿板写真はブログには掲載していませんが、額装も含め自分でとても気に入っていて(周りに怖いとか江戸川乱歩と言われようとも)、そのくらい気に入る湿板を12×16でもう少し作ってみたいなとは思います。何か月も硝酸銀と格闘する覚悟が必要ですが・・。

かつて、自分の実験ダゲレオタイプをバサバサと鞄に放り込んでいたら、友達から「ああー、貴重なものをそんなに無造作に扱って・・・」と言われました。
ああ、そうか私は自分の写真に対するリスペクトがないのだと思いました。
私にとって作品は結果であって、自分に重要なのはそこに至るまでの過程だったりします。でもそんなの他人は知ったこっちゃないしその過程を説明するのも証明するのも鑑賞するのもそして残るのも結果。 なのでもっと大切にしなければなりません。

そんなこともあって、そのお気に入りの湿板のように自分の作品をきちんととっておくというのも悪くないなーと最近思うようになりました。このところ撮り散らかしているダゲレオタイプを一つくらいポートフォリオ代わりにきちんと額装してみようかな。

(そして額探しの旅が始まる。。。)