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被写体は何でもいい、と言っている時点で私の写真は終わっているわけですが、果たして本当にそうなのだろうか・・とこの数日考えています。
ひとつだけ言えるのは、私はまだきちんと自分自身に向き合えていないということ。それだけは切実に感じます。
この旅は長く、そしてきっと苦しい。

外向きにメッセージを発信していて、そこに受け取る人たちがいて、目新しいこと。

なんとなく近代の写真はこれらの要素がないと認められないような気がします。では私は認められて写真家になりたいのか、というと別にそういうわけでもなく、もしかしたら一番心地良い場所を探しているのかもしれません。

ダゲレオタイプは全く目新しくないけれど、私がジプシーのようにあちこちふらふらと歩き回り、最後にたどり着いた安堵の地。奇しくも写真の原点が私の終着点。この終着点からではどこへ向かうのか。それを来年はダゲレオタイプを撮りつつ考えてみたいと思います。

とりあえずこの1年で技術がそこそこ安定したので、ここに多くの時間をかける必要はなくなりました。(まだ臭素を使うという課題が残ってはいるものの。) なので少し写真への理解を深めるために時間を使うことにします。

一度買って乱暴に読み散らかした写真関連の本のうちの一冊。

sontag
スーザン・ソンタグの「写真論」 

果て、これ私きちんと読んだだろうか・・?というくらい内容を覚えていない。まずはここからいきます。

一つ不安があるとすれば、写真論だの写真哲学だのこれらの本を全部読んだら私はきっと混乱してしまう。。。
ま、まずはインプットしてそれから自分なりに整理していこうかなと思います。

おとといのリベンジ。
m-dag-heels-1228-2016
前回はオーバーだったけれど今度は恐らくは現像が若干アンダーでフォグがかかったようになりました。あるいは再利用の銀板の磨きが甘かったのか。
(こんな写真こそチェキで撮っとけ、という感じではありますが。)