Tags
結論を言うと、何も変わっていません。
ドラフトチャンバーが来たところで私のダゲレオタイプライフが急に変化するというわけでもなく、相変わらず今までと同じように銀板を磨き、今までと同じように現像しています。
一つ変わったことと言えば、家に帰ってきてからチャンバーのスライド式ドアを何度も開け閉めし、ファンのスイッチを入れてティッシュが換気口に張りつくのを見て満足する、という無駄な時間が追加されただけ。
では何のためのドラフトチャンバーだったかというと、来年薬品を一つ追加するためです。(あとは2代目の現像機用。)だいぶ展開としてはゆったりしていますが(なぜならここまで来るまでに約3年を要しているので)、まぁこんなもんかな、と思います。 というより3年近く続いていることにびっくり。 そしてダゲレオタイプに対する愛情は冷めるどころか増すばかりで、私にとってダゲレオタイプはもう写真を超えた存在なので、もう写真はどうでも良いのです。
・・というとダゲレオタイプは写真じゃないのか、という反論がきそうですが、写真であって写真ではない、といいますか、世の中の写真といわれるものとはもう別次元の存在なので(私の中ではです)、やれテーマ性だのメッセージ性だのコンセプトだの、正直どうでも良いのです。
そんな難しいことに振り回されている時間も余裕もないし、それは素晴らしい写真家の方々がやってくださったら良くて(もちろん私は写真家でもなんでもないので敢えてそんなことを言う必要はないですが)、とにかく自分にとって完璧なダゲレオタイプを撮る、もうこれだけが目標。
そういう意味では来年予定している展示もだんだんテンションが下がってきて、スキャンしたデータを送る、という約束も〆切の最終日に、本当にこれでいいのだろうか、とかなり自問自答しながら送り、もしやめるなら今ではないのか、という葛藤すら芽生えてきています。
展示は節目としては良いとは思ったものの、もうそこに意義をあまり見いだせなくなってきています。 もし完璧なダゲレオタイプを展示出来るのであればそこに意味があるのかもしれないけれど(世の中にダゲレオタイプをもっと知ってもらうという意味で)、そうでなければ何やら中途半端で、自分の中で消化不良を起こしそうな気がしてなりません。
それはまたじっくり考えるとして・・・。
アニーは今年中になんとかなりそうな雰囲気になってきました。(・・と調子に乗っていると、アニーからまた冷たく突き放されます。)
いずれにせよ気に入ったアニーが撮れたからと言ってそれは完璧なダゲレオタイプというわけではなく、あくまでもダゲレオタイプのコピーでしかありません。