ダゲレオタイプのヨウ素箱で銀板にヨウ素をあてていたら、うさぎがケージがらぴょんと私の足元に飛び出してくるという夢を見ました。
そのダゲレオタイプは本のしおりのように細長くて、キッチンペーパーでくるんでヨウ素をあてていたらずれてしまって、なぜわざわざ包む必要があったんだろうと。。。半分夢から覚めつつ不思議に思っていました。
飛び出して来たうさぎはあの子ではなくて、別の子。私の隠し子です。

最後に撮影したうさぎの骨を入れた小瓶のダゲレオタイプは、私が撮影した中で一番当時のダゲレオタイプに近い気がします。(記事上ではりんごが最後になっていますけれども、実際にはりんごはその前に撮りました。)

トーンもコントラストも繊細で美しい。もしかしたら私は自分が求めていたダゲレオタイプを意外な形で作れたのではないかな・・・と見るたびに思い、そのせいかダゲレオタイプへの執着があまりなくなり、しばしコラージュ遊びを続けていました。


これは数年前にKyotographyで見たTim Flachさんの写真と、湿板のエバレット・ブラウンさんの写真と、インテリア雑誌の切り抜きと、アンディー・ウォーホール(ソファの右上にへばりついている)を合わせたもの。
こうやって有名どころの写真(パンフレット)を切り貼りするのは、何だか若干気がひけつつも、少しいけないことをしている独特な楽しみがあります。先日はエリオット・アーウィットさんとロバート・メープルソープさんの写真を使ったコラージュを作りました。

はて、これを私がポストカードにして販売したらそれは著作権にひっかかるのか・・?
パンフレットから切り抜かれてた時点で、それはもう作家の作品ではなくなっているのではないだろうかと思います。 だからと言って、この稚拙なコラージュを自分の作品として販売したいかというと、もちろんデマンドが皆無ということもありますが、そんな欲望もまったくなく、こうやって大御所の写真を切り刻んで密かにノートにもりもりとその日の気分で貼っていく、という作業そのものに意義を見出しています。

すべての好奇心とそれに付随する行為、一見側から見たらたわいないと思われるようなものであっても、これはこれから起こりうる自分の人生の出来事・決断・行動・目標につながっています。あるいはそれは過去の清算かもしれません。今は小さな点でもシナプスのようにつながるときがきます。

だからそれを見逃してはいけない、というより自分の心の声をシンプルに聞くのが近道だというのが自論です。(現代の最大のボトルネックは”余計な”情報が多すぎること。)

ちなみにダゲレオタイプは、もう枚数でいったら一生分撮影したような気がしないでもないですが、まだまだ突き詰めていくだけの魅力はあるので、この先も撮り続けます。