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かつて茶道にちょこっとハマったことがありまして、その際に茶道関連の本を読み散らかし、毎日のように茶器を見に行き2年くらいで別のことに興味が移るということがありました。
そのときに思ったことは茶道はかなり危険。 日本の文化がぎゅーっと詰まっていて、単にお茶を立てて飲むだけでは済まなくなるのです。
その奥深さに敬服し、憧れて、真似ごとをして終わりましたが、実際には着付けも習い(なぜなら、袱紗捌き(ふくささばき)というのは着物でないと都合が悪いのです)、会席料理の本などもせっせと読んでいました。
着付けにせよ会席にせよお花にせよ器にせよ、それぞれに奥深い世界があり茶道はその集大成といったところでしょうか。
幸いなことに(?)、深みにハマる前にやめることになりました。私は近所のおばあちゃんにマンツーマンで習っていたのですが、この婦人は私が行くと稽古のあともずーっとお話をして家になかなかかえしてくれないのです。
きっと話し相手が欲しかったのだと思いますが、さすがに私も毎週何時間も付き合うことに疲れ(時には何度も同じ話を聞かされ)、とうとう辞める決心をしました。
それ以来茶道は習ってはいませんが、たまに自分でお茶を立てて飲むことがあります。
昨年、一目惚れをして購入した森里陶楽の抹茶茶碗がとてもお気に入りで、ここ最近はこの茶碗を被写体に臭素のテストをしています。
昨夜は遊びで着色をしてみました。
陶楽の色の美しさは再現できませんでしがた、まぁ、かすかにそれっぽくなりました。
断捨離の一環として、気に入ったものを写真に撮って処分する、というプロセスがありますが(私はやっていませんが)、そのときがきたら、ダゲレオタイプでお気に入りを撮ろうと思います。